昭和44年7月21日 夜
信心に、修行はつきものです。ただそれを、修行がつきものだと、いうことを言うておるだけではいけません。ほんとにつきものです。ですから、それはどういうことかと言うと、その修行を修行として頂いたら、神様が間違いなく受けて下さるのです。
ですからその修行がおかげになる、または、お徳になっていくのですから、本気で修行させて頂こうという気になりゃ、神様が、本気で修行に受けて下さいます。
特にこの、夏期修行というような、ああ、特別な、ああ、修行が教会で今行なわれておりますが、さあ、今度の夏の修行には、一修行させてもらうぞと、いったような人達が、その一修行を、神様が、そういう、さあ、この夏をといったような、ああ、その、思いを、神様が受けて下さらんはずはありません。それをその声かけだけ、口で言うておるだけといったような人達の上には、やはり神様がほんとに修行を求めたまいます。
または、本気で修行させて頂こうと思う人達の上には、やはりほんとに、その、修行をさせて下さいます。夏期修行、特に夏期修行の時には、それが非常に強い。これは神様が受けてござる、というその印だと、いっちょ思うです。ね。
ですから、取り分け、夏期修行に起きてくる、もう総てのことは、神様が、もう間違いなく受けてござる証拠ですから、元気な心でね、そこを頂き抜き、やり抜かなければいけません。その修行を、他へ求めたり、するようなことでは、せっかくの修行が修行になりませんからね。
夏期修行、口でだけ夏期修行て言うことじゃだめです。ね。ほんとに、修行させて頂こうという気になりゃあね、神様がその修行を受けて下さる証拠には、例えば、ああ、ねえ、様々な修行を求めてござる、一つの姿というものが、いろんな形で現れておる。
昨日、秋永先生、ああ、西久留米で幹部研修会があっとりました。午前中、10時からですから、行っとりましたら、やはり1時の御祈念にまた、ここへ来ておられる。「あら、今日は、あの」と言ったら、「ちょうどお昼食の時間を利用して、ちょっと、修行だけは、お参りさせてもらいました 」とこう言うておる。
ですからね、そういう信心が必要なんです。ね。神様が、今日はもう西久留米で幹部研修会があっとるから、ご承知だから。4人行っとりますけど、3人はやっぱそんな気持ちで、もちろん帰っておりませんけど、秋永先生だけは、だからちょうど昼食の時間にね、1時から、昼食だったそうですから、1時から30分間、ちょうど、ここで、ご修行頂いて、そしてまた、出かけて行かれました。
いうようにです、ほんとに、修行をお供えしたい、修行させて頂きたい、という願いがあるならですね、たとえばそこに起きてくる、例えば苦労こと、というか修行の問題でもですね、ああ神様がいよいよ修行を受けてござる印だと、この修行を本気で、夏期修行の中の修行として、また頂こうといったような意欲的な信心、が、それはもう難儀としてはけしてならない。もう神様が総てを修行で受けて下さる、特に修行期間ですから。
そういうようなことをですね、一つ知っておきませんと、修行期間になにか起こってくると、もうよろよろしとる。ね。口でだけは修行修行と言うてから、修行せんけん、ある人が、そういう人があります。毎日お参りさせてもらいよる。今度の夏の修行は、ち言いよる。と言いながら、ああ、朝参ってくるとをやめてから、1時の御祈念だけに参ってくる。それじゃいっちょん修行、かえって朝参って来た方が修行ですよね。
それはただ、昼の修行を修行として参ってくるればいいけども、それではなくても日参さしてもらっておるのです。ですから、その昼の修行はやっぱ、特別になされなければ、修行にならんのです。それを口だけでは、修行させてもらわなければ、修行させてもらわなければ、て言いながら、ちゃんと、午前中のお参りを止めてしもうとる。そして、昼の修行。そういう人は、何人か今ここで、もうそれこそ、ヨロヨロ(ヨラヨラ?)するごたる修行させてもらいよりますよ。ね。
それは、神様が修行を、ほんとにお前口で言うとる通りの修行を、神様が受けて下さっておる印なんです。ね。ですから、もう、口も体も、ね、心も、いちみとなって、一つになって、その、修行が、に、火の玉のような思いで、この修行期間、特に、修行させて頂こうと思ったら、ほんとにその修行をやりぬかなければ、ね、言いわけ的なことでそれを逃れようとすると、他に求められるです。それは神様が、受けてござる印、証拠なんですからね。
こげんところを、信心に修行はつきものと、言うておるだけではなくて、ほんとにそうだなあということを、体験させてもらう、また、その、実感させてもらう。そこから、よい修行ができると思うですよ。ね。どうぞ。
(翠)